公人の衝撃発言!なぜか放置される「不倫」と「ロリ」を肯定する国会議員 #愛人OK #ロリOK

1. ある公人の発言

国会議員で、現在はある国政政党の代表であり事務局長という、政党の最重要職をダブルで務める公人という立場でありながら、「自分の属する政党では愛人OKにする」と言った人がいます。

また、「ロリOK」「相手がいいならいいじゃないですか」という、俄かには信じがたい発言をしたことでも知られています。


法を制定し、社会を整備し安定させていく職にある国会議員、かつ、国政政党の重要職にある人物が、このような社会常識・良識に反する発言をするのは、とても考えられません。

過去、公人の不穏当な発言がある度に、大手メディアで大々的に取り上げられ、引責辞任および社会的な責任が問われてきたわけですが、この「愛人OK」「ロリOK」発言は、ほとんど問題視されていないようで、全くもって不思議です。

2.結婚は相手・親族・社会への「誓約」

不倫は良くないことですが、現実には、夫婦やパートナーの間に何かしらの事情があり、その間に新しい出会いを得て、他の人を好きになる、ということもあると思います。


例えば現在の結婚生活に絶望していて、その場から逃げたい人もいるでしょう。
そうした人が、現在のパートナー以外に心を惹かれるのは、ある意味では、仕方がない部分もあると思います。

あるいは、結婚した後になって、思いがけず激しい恋情を抱く相手に出会い、悩んだけれども、その感情にどうしても抗えなかった、という人もいるでしょう。
(そこは理性を働かせてほしいところではありますが)


しかし、「結婚」は自分だけのことではなく、結婚相手・社会・親族に誓約をして、家庭を持つ、というものです。
だからこそ、役所への届け出や、税制の優遇があったりという、社会の「制度」になっているのです。
その誓約を裏切る行為をしたのなら、社会から信用されないのは当たり前です。

3.社会的な誓約を破る者は、社会的信用を失う

「結婚」という社会的な誓約を裏切った人間は、社会から信用されません。
そうでなければ、社会が無秩序になり、信頼も安全もなくなってしまいます。


そうしたリスクを理解して、それでも結婚相手やパートナー以外の人と恋愛関係を持ちたいなら、
できるだけ速やかに、離婚などを行って関係性の整理をし、社会的な誓約に対する「矛盾」を正すべきです。


結婚という契約をしていないパートナーの場合であっても、相手の親族や友人もいます。
何よりも、「自分以外の人間が相手」として存在するのですから、そこには社会的な関係が成り立ちます。

その「社会的な関係」がどれだけ小さなものであっても、人間の関係性を裏切る行為には、
周囲からの不信や蔑視が付きまとう
ことは当然です。
少なくとも、そうであることを認識しておかなければなりません。

4.不倫を正当化する人は、他者を軽視する「自分の欲望だけ」の人

また、不倫をした場合、パートナーや子供に与える影響は、社会的にも、精神的にも甚大です。
特に子供に対しては、虐待に近いほどの精神的苦痛をもたらします。
親なら、子供にそうした苦痛を与えることの責任を取らなくてはなりません。


一方、愛人とされる側にも、精神的苦痛はあります(通常であれば)。

明治・大正・昭和の時代でも、妾や愛人は「日陰者」と言われる立場でした。
本当に愛情があるなら、愛する人を囲って「日陰者」にするようなことは、初めからしないでしょう。


なぜ、このように周囲の人々を苦しめてでも、自分の恋情や欲求を満たすことを選ぶ人かいるのでしょうか?
それは、自分の欲望を第一に優先させているからでょう。
自己の欲求を満足させているだけの、「自分だけ」の人間です。


まして、「愛人OK」などとうそぶく人間は、周囲の人々を軽視していると言わざるを得ません。
人間性に疑問を持たれても仕方がないでしょう。

5.日本における本来の一夫多妻制とは

「愛人OK」と公言したその公人は、「昔の日本では、力や財力のある男性は複数の女性を囲うのが当たり前だった」と言っています。
つまり、「日本では歴史的に、力がある人間は複数の愛人を持っていいことになっていた。だから愛人OKだ」という論理です。

おそらくこの発言は、明治期から昭和初期の妾の存在か、せいぜい戦国時代の一夫多妻制度を指していると思われますが、そんな最近の話を「昔から~」などというのは、滑稽です。
日本の長い歴史も、そこから生まれ成熟してきた文化も、どちらも大して理解していない、非常に浅はかな考え方です。


日本における本来の一夫多妻は、女性がその家の影響力や財産権を持っていたことが大きな理由です。

古代の天皇が各地の女性を妻に迎えたのは、その土地の者と強固な関係を築くためであったと言われています。
時代を下って、平安期を見ると、例えば『伊勢物語』にもあるように、財が乏しい男性は複数の女性と縁を持って、女性の家に援助してもらっていました。

もちろん、財力以外にも、女性の家の影響力や政治力を得るためという理由もあります。
女性は家を守り、縁づいた男性に「実家の力・財力」を与える者でした。
女性の身につける家紋が、婚姻後も実家のものであるのは、そういった歴史があるからです。


武士の時代になって、力のある武将が複数の女性と婚姻するようになりましたが、これも、妻にする女性の実家が持つ影響力を取り入れ、政治的な繋がりを強固にするためでした。
戦における戦略の一つだったわけです。
だからこそ、武家の結婚は重要であり、必要に応じて複数の妻を持ったのです。


しかし、正妻の地位は確固としたものでした。
これは、第一には、家の中の秩序を守るためです。家は小さな社会だからです。
武家社会が終わり、明治、大正と時代が変わってからも、正妻の立場が非常に強いことには変わりがありません。

本来は、こういった認識が、日本における一夫多妻制の根本です。


仮にも保守政党を標榜する議員が日本の文化を語るなら、少なくとも1000年は遡ったぐらいの知識があってほしいものです。

6.女性は並べて楽しむトロフィーではない

女性を複数侍らせて、「俺は金も権力もあるから妻以外の女を囲えるんだ!」と悦に入るのが、日本の一夫多妻ではありません。
こうした行為は、女性をトロフィーとして見る、西洋的な感覚ですね。
日本の保守的な感覚から見ると、非常に下品な行為です。
もちろん、男女が逆の立場であっても同じことです。


もっとも西洋の場合は、中世の騎士物語のように、女性を敬う精神が、本来的には必要です。
このあたりは、歴史や文化の違いが関わってきますし、必ずしも西洋の女性観が下品だとは思いません。


ただ、日本の文化もろくに知らず、また騎士道精神も何もないのに、「女性をトロフィーのように所有して悦に入る」のは、女性を人ではなくモノとしてしか見ていない、下品な行為だと言わざるを得ません。

7.「不倫」とは「倫理」に悖る行為

なお、「不倫」とは、人倫に悖る行いを言います。
元々は、既婚者が浮気をすることだけを言うのではありません。
理」的に「受容可能」な行いの総称でした。


近年、「不倫は悪くない」と考えている人が増えているように感じます。
ドラマや映画、漫画などの影響が大きいのだろうと思いますが、軋轢なく社会に属していたいと思うなら、「不倫」が倫理に反する行為、つまり、社会的に忌避される行為だということは、よく理解しておくべきと思います。


社会的でない行為を、社会に対して「許容しろ」と要求することは、反社会的行為です。
「愛人OK」「ロリOK」と公的な場で叫ぶことは、極端なな例を出して謂えばテロなどと同じで、反社会的な行為です。

これは社会の秩序を守るための、社会の常識です。


それでも、どうしても我慢できずに誰かと不倫関係になってしまったのなら、一度は伴侶と決めた相手や、社会や、親族に対しての誓約・信頼・愛情を裏切ったのだということを、自ら受け入れ、相手に謝罪し、必要があれば賠償をしなければなりません。
自由には必ず責任がついてくるからです。

配偶者以外に複数の相手を囲って自慢するような、生け簀不倫など、もっての他です。

人間は玩具や鑑賞物ではないのです。

8.「ロリOK」は犯罪を助長する発言

社会常識から逸脱した人間は、社会から信用されません。
激しく逸脱した人間は、犯罪者とされ、社会から排除されます。
社会に帰属していたければ、社会のルールを守る必要があるのは当然です。

ましてや、社会的な地位を得た人であれば、より一段と高い倫理性、社会帰属意識を求められます。
つまり、「地位」が高くなれば、「倫理性」も高く要求されます。
なぜなら、その地位に応じて、社会に貢献し、社会を安定させる義務があるからです。


また、「ロリ(未成年者相手)」は、社会常識以前に犯罪です。
「相手がよければいいじゃないですか」
などと街頭演説で叫ぶのは、異常者の行動と言わざるを得ません。

「ロリOK」は、犯罪行為を助長する発言です。
また、「相手がよければいい」は、十分な判断力や、十分な自己保身の手段を持たない未成年者や若年者に対して、本来は成人が持つべき責任を、逆に未熟な若年者になすりつける言葉であり、非常に卑怯かつ無責任な発言です。

こちらも念のため、付け加えておきます。

          • -

今年のうちに書いておきたかった内容です。
悲しみを通り越した後は、怒りしか残りませんでしたよ!(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)
「愛人OK」「ロリOK」の発言動画がデジタルタトゥーで残っていることは確認しております。
来年こそはいい年になりますように。
今回のタイトルは、AIで作成しました。

生け簀不倫とは

複数の愛人を、
生け簀に入れて飼うように、
一カ所に集めて囲っていること。

だそうです。

伝聞ですが、当事者本人が、
自分に愛人が複数いることを明言し、
「生け簀に囲っているようなもんだよ」
と、自慢?
していたことから、
「生け簀不倫」と言われるようになった、とのこと。

運営事務局に2人、多かったときは4人いる、とも聞いています。
「現在は2人が定説」だそうですが、
「もっといる」と言う人もいます。

奥さんや子供さん、親類縁者は、どう思っているのでしょうか?

酷い話ですね。

こんな人物は、
人間として、全く信用ができません。

国政選挙後、参政党に感じていた不信感を洗い出してみる

2023年8月まで

・23年春以降、神谷さんの演説内容が「国政」や「日本の未来」ではなく、「党への工作がある」が中心になってきたこと
よしりん先生が出馬した大阪府議選挙の準備期間の極端な少なさ
・5レンジャー、ボードメンバーの急激な入れ替えと、選出基準の不明瞭さ
・「共同代表」→「松田代表」→「神谷代表兼事務局長」の急激な移行と、手続きの不明瞭さ
・党代表と事務局長の兼任を当然だと思っているらしいこと
・地方選挙の極端に多い候補者擁立
 (その割にお金がかかるんです!大変なんです!と演説・・・選挙戦略やキャパ認識はどうなっているのか?)
・地方選挙で、医学的に間違った情報(特定の個人に対しては効果があっても、多数の人には害になるかもしれない情報)を発信する人を候補者としており、その応援演説をよしりん先生が(微妙な顔をしながらも)していたこと
・神谷さんの演説内容が「国政」や「日本の未来」ではなく、「党への工作」が中心になってきたこと
・元党員への処分が発表される際に、具体的な理由を「この場では言えません」としか言わなかったこと。
・具体的なことを言わない割に、街頭演説では「党は攻撃されている!」「負けるわけにはいかないんです!」と熱く語り、理性よりも感情ばかりが煽られること
・国際情勢も国内情勢もどんどん変わっていっているのに、神谷さんの政治に関する街頭演説の内容が、2021年からほぼ変わっていないこと
 (新しい情報を取り入れていない・政治的思考判断の更新が全くされていない)
・神谷さんの国会答弁の熱量が、街頭演説と比べて、嘘のように小さいこと。内容が全然響いてこない。
・短期間での離党者や除名処分者のとんでもない多さ
・党代表が記者会見で、「党員でない人間を党の公認として国政選挙に出した」という選挙詐欺としか思えないことを、平然と言っていたこと

2023年9月~12月まで

・神谷さんの発言内容の度重なる矛盾
 (例:「武田先生は党員じゃないんですよ。なってほしいんですけど」→「党籍を抹消します」党員じゃないのに党籍があった???)
・高額な党費、大会参加費、寄付金、政党助成金が入っている割に、いつまでたっても「政治にはお金が必要なんです!」と言い続けていること
・収支報告書を見ると、党費収入が「党員10万人」には程遠い金額だったこと
 (登録と決算のタイムラグを考えても程遠い数字)
・「愛人OK」「ロリOK」動画の衝撃
・「ずっと独裁だった」宣言(DIYはどこへ消えた?)
・「嫌なら出ていけばいいんですよ!」発言の衝撃
 (「日本人を目覚めさせる」んじゃなかったの? 今の党員数で「日本を変える」なんてできるとでも思ってるの?)
・党費以外にも集金していること
 (当選した地方議員の歳費から党へ入金させ、活動に支障が出るため払えないと拒否した議員は離党させられていること)

参政党問題 いろいろな話を総合すると・・・

武田邦彦先生の発信から、急速にいろいろなことが見えて来た気がします。

神谷さんの「周知独裁」という言葉も動画で聞きました。
そんな言葉、初めて聞きました。
でも、神谷さん自身が独裁を認めましたね。

国会質疑の動画を見たときに、
神谷さん、街頭演説では熱量のある人なのに、どうして国会ではあんなに大人しいんだろう?
と感じたことを思い出しました。

それから、たくさんの人が離党していったこと、松田さんが党代表になり、わずかな期間で解任されたこと、
党代表という立場の人が、なぜ、事務局の意向だけでいきなり解任できてしまうのだろう?と思ったことも
もう一度思い出して考え直しました。


今までに参政党を抜けた方々の発信も、遡ってもう一度見てきました。

そして、今まで私が参政党から聞いてきたこと、特に神谷さんが繰り返し言ってきた
「みんなで作っていく」「みんなが政治に参加する」という言葉を思い出していました。


今朝は、初めて、「生け簀不倫」という言葉を知りました。

その後、吉野敏明先生がfacebookに挙げた書籍を見て、
ああ、そういうことか・・・と納得しました。



かっちゃんのブログも再読して、まなびばの動画ももう一度見て、
KAZUYAさんの動画も視聴しました。
「党員登録をされていない候補者」の、神谷さん側のメリットが理解できたと思います。

あの参議院選挙を始める前から、神谷さんは着々と独裁の布石を敷いていたのですね。


自分が悩んで考え尽くした去年のあの選挙は、一体なんだったんだろう。
地元の支部の人たちは、とてもとてもまっとうに考えて行動して、本当に頑張っていたのに。
悲しいです。
支部の人たちが、今、この問題をどう思っているかはわかりません。
でも、私は悲しい・・・

今は、私自身では誰かを参政党に勧誘していなくてよかったとすら思います。

前回書いた主張は変わっていません。

参政党本部(事務局)は、有権者に対して、「公的に」説明するべきです。

参政党問題、なぜ誰もこれを言わないのだろう?

いわゆる参政党問題があちこちで取り沙汰されていますが、誰もこのことについては言及していないようなので、私が最も大きな問題だと思うことを記載します。

概要

書いていたら長くなったので、最初に概要を。

  • 国政選挙に党の比例代表として出馬した候補者が「党員ではなかった」という問題は、政党事務局と武田邦彦氏の関係とは別個の、有権者からの政党への信頼に関わる問題である。
  • なぜなら、選挙時に有権者が「党員でない党の候補者がいる」という情報が与えられないままだったため、有権者の選挙に対する判断に誤りを生じさせた恐れがある。
  • 有権者の不信を払拭するために、この問題がなぜ起こったのか、どのように対処したのか、今後はどのようにするつもりなのかを、参政党事務局から「有権者に対して」「公的に」発信を行ってほしい。

  • 上記の発信がなければ、現在の参政党の候補者・議員が本当に党員であるのか、また、今後も党員でない候補者を選挙に出馬させることがあるのか、という疑問が残る。


以下、本文です。


参政党に投票したいち有権者の今の気持ち

最初にお断りしておきますが、私は参政党員ではありません。
ですが、「現在とこれからの日本人を守りたい」という参政党の理念を応援し、支持していました。
私が知ったのはいわゆる5レンジャーの時代からです。

神谷さんの熱量や行動力は凄いと思いますし、行き過ぎたグローバル主義に反対したいという意味で、今も参政党を支持しています。

この前提を書いたのは、こういった立場の人間がこんなふうに考えているということをご理解いただきたいからです。
ちなみに、参政党を支持していながら党員でない理由もありますが、煩雑になるため、ここでは記載しません。


参政党については様々な意見がありますし、トラブルの話も聞いています。
大なり小なり衝突が起こるのは人間の集団では当たり前のことですので、そうしたことについては、ここでは何も言いません。

私が問題視しているのは、「国政選挙の候補者として党から出馬した武田邦彦氏が実は党員でなかった」という、この一点です。


私は参政党の事務局に対して、元5レンジャーの一人である武田邦彦氏の党員資格がどうなっていたかについて、参議院選挙出馬当時からの経緯も含めて、明確に発信していただきたいと思っています。

これは単純に「問題になっているから知りたい」のではなく、「いち有権者として、党から情報開示を行ってほしいという要望を持っている」ということです。


武田邦彦氏の党員資格問題に関する時系列

私が理解している限りでは、このような時系列になっています。

  1. 武田邦彦氏は自分としては参政党員であると認識した上で選挙に出馬し、応援演説を含む選挙活動をしていた。
  2. 選挙後に、人づてで自分(武田氏)が党員名簿に登録されていないことを知った(つまり除名通知はなかった)。
  3. 武田氏がYouTube動画上で「自分はどうも党員ではなかったらしい」と発言。
  4. その後、一定期間(数カ月ほど?)が経過。
  5. 10月末に武田氏が「自分が党員でもないのに、他人に入党を進めることはない」旨を動画内で発信(幸せ砂時計)。また他の動画(ひばりクラブ)で政党政治(間接的に参政党運営に対して)苦言を発信。
  6. 参政党の現代表である神谷氏から武田氏に対して「今は入党しない方がいい」と言われたという話も出ていますが、どの時点かはちょっと不明です。

もしも間違いがあったら申し訳ありません。その旨ご指摘いただければ幸いです。


現在、参政党のホームページでは、武田邦彦氏は「アドバイザー」となっています。
党員ではなく、「外部」の協力者という扱いです。

除名されたわけでもないのに「外部」の人間扱いになっているのですから、党側では武田氏を党員登録をしていなかったということになります。

国政選挙に比例区で出馬した候補者が「党員でなかった」ことの衝撃

私は寡聞にして知らないのですが、過去、日本において、政党がその党員でない候補者を、国政選挙の比例代表に出馬させることがあったでしょうか?

2022年の選挙当時、新聞の公示や投票所の張り出しに、参政党の比例代表として武田邦彦氏の名前が記載されていました。
Web上には今でも参政党比例代表の中に武田邦彦氏の名前があり、得票数も明示されています。

そうした公示からは「武田邦彦氏が参政党党員ではないかもしれない」という認識は全く得られませんでした。

一般の有権者であれば、例え比例でなくても党名を背負って出馬する候補者が、その党の党員ではないかもしれないとは、通常は考えません。

私は、有権者として、武田邦彦氏も参政党の党員であり、党を代表する1人であると認識していました。
その認識があった上で党を含めて投票先を考え、投票する候補者を絞り、選挙に臨みました。
ところが、その認識自体が違っていたと「後から」知らされたです。

党員でない人を、参政党事務局は、なぜ党の公認として全国比例に出し、全国で選挙活動や応援演説をさせたのでしょうか?
なぜ、党員でない人に党の肩書を付けて、それを有権者に公表しないまま、投票日を迎えさせたのでしょうか?

公示情報の意味

有権者は、党や候補者から公示された情報を主体にして投票先の候補者を選別します。
その情報が間違っていたり、あやふやなものだったりすると、有権者自身の判断に誤りが生じます。

特に国政選挙では、その後の数年間の国の進む方向が決まってしまいます。
現実に、その選挙結果の積み重ねで、日本の在り方が現在のようになっているのです。
それが理解できない国政政党の事務局は存在しませんよね。

選挙において有権者が正しい判断をするために、政党事務局は公示を行うはずです。
もしも「党員でない候補者」を選出したのなら、その事実を選挙前にはっきりと公示すべきでした。
なぜなら、それが有権者の判断材料の一つになるからです。

しかも比例代表の候補者であれば、比例投票に参政党を選択するかどうかという判断にも関わります。
選挙投票としてはかなり大きな判断です。
その大きさが分っているからこそ、参政党は「5レンジャー」と銘打って、大々的に5人を押し出す戦略をとっていたわけです。


これは決して大袈裟な話しではありません。
ある候補者が初めから党員でなかったのなら、選挙に当選した場合であっても、参政党の政策からその候補者が離れることも考えなければなりません。

また、当選しなくても、選挙で政党所属の候補者が行った主張は、党の公的な主張であると有権者は考えます。
その候補者が党内にいるのなら、その主張は基本的に党内でも継続できるでしょう。
しかし、党の外の人物であるなら、その人がどんな立派な主張をしていても、党としての動きはほぼ期待できないことになります。

つまり、その候補者が党員であるかないかで、党や候補者の政治主張に対する判断自体が違ってくるのです。
その判断は、その党を支持するかどうかに大きく関わります。

現在の政党選挙では、その候補者が党員であるかどうかは大きな問題なのです。

(それ以前に、政党が選挙に選出した候補者が党員であることは常識だと私は思っていました。そう思わない人の方が少ないはずです)

有権者としての責務

2022年の選挙当時、私は何日も真剣に悩んで、考えつく限りのことを考えて、投票直前まで考え抜いて、投票しました。
たった一票のことではありますが、ほんのわずかでも将来の日本に影響を及ぼしてほしいと、本当に願っていました。
投票後に、これだけ悩んだ投票でも、全国民の中のたった一票でしかないんだな・・・と脱力したこともよく覚えています。
それでも、私は私なりに有権者の義務を果たしたつもりです。

これは、私が投票を頑張ったということではありません。
私程度に選挙を考え、投票に悩んだ有権者は、全国にたくさんいると思います。
生活がどんどん苦しくなってきている現在の状況を考えれば、今後も政治動向を吟味し、様々に情報を集めて投票しようとする人たちは増えていくはずです。

有権者も真剣なのです。

一人一人がそれだけ悩む投票において、「党から出馬した候補者が党員ではなかった」などという情報が選挙後に出てくること、また、それに対する公的な説明が全くないことは、有権者に対してあまりにも不誠実です。

全国から集まった真剣な投票に対して、政党事務局にも誠実に対応していただきたいと考えます。


単なる「武田氏の確認の甘さ」の問題には収まらない

上に書いたように、私はこのことを「事務局と有権者の間の問題」と考えます。
その根拠として、有権者へ公示する情報に誤謬がある=判断を誤らせる可能性が大きい」ことも指摘しました。

かっちゃんねるブログでは、「(党にも問題がある一方で)武田氏が確認していなかったことも問題がある」という旨が書かれていました。
それは確かに一つの見方ですが、それは武田氏と事務局の関係性の問題であり、基本的に有権者には関わりのないことです。

しかし、事務局から有権者に対して説明がない以上、「こうした経緯がある」と武田氏側が公表するのは、有権者に対して事実を開示するという意味で、公平なことだったと思います。
武田氏は、選挙では神谷氏の約16万票に次いで約13万票を得ていますから、選挙当時の情報を開示することは、投票された側である武田氏側の責任でもあります。

武田氏側の事実開示に対し、事務局側は、少なくとも党の外部には現在のところ何も発信していません。
有権者は党員だけではありませんから、党から有権者に対して、公的に発信があるべきです。


この件で党事務局に求めたいこと

党は「党員ではなかったかもしれない」候補者を国政選挙に出し、12万超という決して決して少なくない得票数を「比例」で得たことに対して、どのように考えているのか。
これをはっきりと有権者に示してもらわなくてはなりません。


武田氏の問題に終始しましたが、「党員でなかったかもしれない候補者」が存在していた事実に対して、私は参政党の事務手続きを大変危惧しています。
事務局なのですから、事務手続きはしっかりと行うのが基本です。
しっかり手続を行っていたというなら、なぜそんなあやふやなことになったのか、それを公的に発信してもらわなければ、どうしても不信感が残ります。

不信感を持つ者は支持しなくていい、と言う人もいるかもしれませんが、それは国民に投票を呼び掛ける「政党」の態度ではありません。

私は参政党に、誠意をもって、有権者からの不信感を払拭してもらいたいのです。

なお、個人(党代表であっても)の街頭演説での発言は、公的な発信というには範囲が狭すぎます。
公式動画なり、会見なりで誠意を見せていただきたいと考えます。


現在の参政党議員や今後の候補者は間違いなく参政党員なのか?

参政党は結党してまだ数年の若い政党ですが、1人とはいえ国会議員を輩出し、党員数も地方議員数も続々と増えています。

その一方で、除名や離党となった党員の数が多く、除名された側からの苦情も、他の政党と比較して格段に多い印象があります。
選挙に当選し、議員となっても、参政党の党員ではなくなった人もいます。

議員は党から選挙出馬して有権者の支持を得たのですから、本来であれば、議員が自ら離党するのはあってはならないことです。
その逆も然りで、党が選出した議員・候補者を、軽々しく除名することは、あってはならないことです。
党の見識の誤りを党自信が認めているのと同じだからです。
見識に誤りがある党が、有権者に信用してくれとは言えません。
実際には、様々な事情で除名・離党することはあっても、あまりに多すぎる除名は有権者の信頼を損ねます。

しかし、国政選挙に選出した候補者が「党員ではなかった」事実があり、地方議員にも離党・除名された元参政党議員がおり、さらには、日本の主要都市・大阪の府知事選に出馬した候補者がまた除名という話が出てきています。

参政党の党員だからと思って投票しても、その候補者・議員が一年もたたずに除名になったり離党したり、というのが今の参政党の現実です。
そんなに入れ替わりの激しい組織が、政治という多くの人を動かす組織として信頼されるでしょうか?


百歩譲って、除名・離党は一応公表されますから、まだいいのかもしれません。
しかし、「候補者本人が党員だと思っていたのに、党員ではなかった」というケースが武田邦彦氏です。
こうなるともう、投票時にどう判断していいのか、有権者には分かりません。

再度書きますが、たとえ落選した候補者であっても、その候補者に投票した有権者が存在するのです。
党とその候補者を信頼して一票を投じた人々に対して、候補者はもちろん、党もまた誠実に対応しなければなりません。

この党員資格不明瞭問題が払拭されなければ、今後、参政党から出馬する候補者全員に「党員かどうか」の疑惑がついてまわります。
これでは、有権者は「参政党」の候補者を正しく判断することができません。
党にとってマイナスにしかならないのです。


私は昨年の参議院選挙投票の際、ゆくゆくは参政党に政権与党になってほしいと願っていました。
だからこそ、幅広い有権者の信頼を得てほしいのです。

参政党の党事務局の皆さんには、一日も早くこの問題を解決して、党への信頼を回復してほしいと願っています。